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福岡高等裁判所 昭和54年(く)23号 決定 1979年6月05日

少年 Y・K(昭三六・七・二一生)

主文

原決定を取り消す。

本件を佐賀家庭裁判所に差し戻す。

理由

本件抗告の趣旨及び理由は、付添人作成の抗告申立書及び「抗告申立補充書」と題する書面に記載のとおりであつて、要するに本件虞犯立件の主たる端緒ともいうべき、少年の妹に対する殴打事件の真相は、少年が妹を運動靴で殴つた事案で妹の負傷の程度も極めて軽微であり、兄妹げんかの域を出ないし、少年の父親も少年の右暴行により、その妹が頭蓋骨骨折の傷害を負うたと思つて、少年を施設に収容することを希望したが、右の真相が前記のとおりであることが判明した現在では、少年を施設に収容することを希望していないし、少年自身、現在調理士として更生する意欲を抱いているものであるところ、父親の協力のもとに、調理士見習としての就職先も決つているのであるから、少年を中等少年院に送致する旨の原決定の処分は、著しく不当というべきであるというのである。

そこで本件記録及び少年調査記録を精査してみると、少年は昭和五三年九月五日佐賀家庭裁判所で保護観察処分に付せられたがその後僅か六ヵ月余にして前記暴行に及んだものであること、少年が自己中心的であり、自己顕示性も強く、気分易変・易怒で僅かな不快剌戟に対しても敏感で、容易に暴行に及んでいることは、原決定説示のとおりであり、その他佐賀少年鑑別所の鑑別結果によれば、少年が社会生活に適応していく上に必要な、基本的生活慣習や勤労意欲を欠き将来犯罪行為を繰り返す危険を有することが認められ、少年に今後密度の高い専門的な生活訓練や指導が要求されることが肯首できるのであるが、他面、少年が幼少時に母親と生別し、指導監督能力の乏しい父親のもとで育つて来たにも拘わらず、中学校卒業時までは、一応学校生活にも順応して来たのであつて、少年が、非行的性向を顕著に示し始めたのは、昭和五二年四月○○○○高等学校に入学後であり、当時の少年が年令的にも極めて動揺し易い時期にあつたことや、その頃から父親が胃病のため屡々入院するようになり、ことに昭和五三年四月に少年は、成績不良と登校日数不足で留年となつたうえ、父親が、また長期間入院したため、家庭における少年への適切な指導監督は行われず、経済的にも極度に困窮し、校納金の使い込みや怠学などが目立ち、遂に前記保護観察処分の原因となつた窃盗及び妹への窃盗教唆の非行に走り、同年六月に前記高校を退学するに至つたこと、右窃盗及び窃盗教唆の各非行は、被害金額も比較的少額で、その態容も稚拙さが見られること、さらに、右保護観察処分後における保護観察所の観察の経過を見れば、原決定当時、その計画はいまだ十分に軌道に乗つていたとはいえず、妹に対する右暴行事件を含めて、更めて将来の具体的対策が検討されるべき時点にあつたことが認められ、少年に対する保護観察の実効の有無が判定しがたい段階であつて、少年の反社会的性向の矯正には種々の困難を伴うとはいえ、その矯正方法として中等少年院に収容することを最善とするものとは断じ難く、少年には調理士見習としての就職先も決つていること等をあわせ考えると、原決定の説示するところをもつてしてはいまだ原決定の相当性を首肯するに足りず、したがつて、結局原決定の処分は著しく不当であるといわざるを得ない(なお、少年は、別件として、昭和五四年二月中に窃盗(共謀)四件の送致を受けていることが認められるが、右各非行事実は原決定の処分対象とはなつていない。)。

よつて本件抗告は理由があるので、少年法三三条二項、少年審判規則五〇条に則り、原決定を取り消し、本件を原裁判所に差し戻すこととし、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 山本茂 裁判官 畑地昭祖 矢野清美)

〔編注〕 受差戻審決定(佐賀家 昭五四(少)三五五号、三七四号 昭五五・二・二八試験観察を経て不処分決定)

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